今月は、第1子で経験しても、第2子で生かすことができなかったケースで、産院で指導を受けたくても聞きにくい雰囲気であったという状況で、そのまま退院してしまうことになり、自宅で悪戦苦闘、来院されました。今、妊娠中の方も参考になると思います。

松江先生のおかげで、私の赤ちゃんは、ぷっくりムチムチの赤ちゃんになりました。そして赤ちゃんと安心して過ごせる時間が増えました。
37週であっという間に生まれた第2子は、とても小さく感じられました。病院では経産婦ということで、特に指導も無く、授乳が始まりました。不安もありましたが、その時はなんとかなるだろうと思っていました。ところが始めてみると、私が覚えているのは首も腰もしっかりした赤ちゃんのもので、久しぶりの“フニャフニャ新生児ちゃん”の授乳は悪戦苦闘でした。おっぱいを飲んでもすぐ寝てしまうし、私のおっぱいも出ているのかどうかわからない。泣くこともせず、眠ってばかりいる赤ちゃんを見て、不安で堪りませんでした。入院中に赤ちゃんの体重は、みるみる減ってしまい、病院の方針でミルクを足すことに。1人目でミルクを足しておっぱいが張り痛い思いをしている私は、とても抵抗がありました。ミルクを足す前に授乳の仕方をもう一度教わろうかとも思いましたが、聞きづらい雰囲気があって聞けずじまい。退院後、すぐに松江先生のところへ行きました。松江先生には、上の子の卒乳の際にお世話になっていました。2人目が生まれたことを伝えるととても喜んでくださいました。
先生のマッサージや指導を受け、私のおっぱいもでるようになりました。ところが赤ちゃんは飲んでいる途中に寝てしまって、なかなか哺乳量が増えません。眠っている赤ちゃんを起こし頻回に授乳していたら、私がヘトヘトに疲れてしまいました。先生は搾乳を勧めて下さりました。先生のアドバイス通りの生活をしていくと、赤ちゃんは、日に日にふっくらしていきました。そして泣く声が大きくなり、機嫌良く起きている時間が増えました。私もほっとした気持ちで赤ちゃんの隣にいられるようになりました。生まれてから2週間経っていました。授乳のスタートから、マッサージや授乳姿勢の指導を受けていたら、もっと幸せな2週間になったはずなのに。
日々成長していく我が子の心配事は尽きません。松江先生は、母乳に限らず、乳児湿疹や便秘など、その時々の心配ごとにアドバイスを下さりました。特に上の子との関わり方については、目の前の赤ちゃんにばかり見ていた私にとってありがたいものでした。
今は何か不安なことがあれば、すぐ調べることができます。ところが調べれば調べるほど、沢山の情報を目にすることになり、ますます不安になってしまいます。情報の中から我が子に最適な手段を選びとるのは難しいことです。たくさんの赤ちゃんやお母さまを見てきた松江先生から頂くご指導は、まさにオーダーメイド。的を得ているものでした。不安が解消され、赤ちゃんと穏やかに過ごすことができました。
満足そうな顔で眠っている赤ちゃんの隣で、この文章を書いています。赤ちゃんとの生活は思うようにいかないことが多いですが、先生のご指導と励ましのおかげで楽しく過ごせております。先生に褒めていただくととても嬉しいです。「あなたはがんばっているのよ」と言って頂いたときは誇らしい気持ちになりました。この子が大きくなったら、必ず先生のことをお話ししたいと思います。

初めてのお産の場合は、産院のスタッフも気にかけてくれる場合が多いと思いますが、経験者となると、上手にできているだろうと思い、あまりタッチはしないようです。
母親は夢中で過ごしていることが多く、最初の経験を忘れている、迷いながら新生児に向かいあっているようです。私は助産師として、妊娠中からその知識を得て、乳頭の手当てをし、準備をしておくことや、赤ちゃんとの過ごし方など予備知識をアドバイスしています。
このケースは、退院してからおいでになりましたが、その後もアドバイスを良く守り頑張ってくれました。辛い日々を過ごしたこともありましたが、今は落ち着いた生活のようです。今後も母乳育児を十分楽しんでくださいね。
今月の感想文、今月の赤ちゃんはお休みいたします。
日本全国(世界的にも)、新型コロナウィルス感染症が広がり、ここ青森でも
身近に迫って来ていると感じています。ようやく9月末に感染者数が少なくなってきましたが、まだ安心できません。
感染すれば、という不安から赤ちゃんを抱えて外出や相談に来るということも、勇気のいることでしょう。
妊娠中の方は、検診に出かけた折、医師に相談できますが、育児中の方は日ごろの不安や、おっぱいの事も相談したいと考えている方の事を思うと、心穏やかではありません。
心配事がありましたら、どうぞ遠慮なくお電話ください。
(017-743-9550)
何かお力添えができれば幸いです。
出産後、誰でも経験するケースの紹介です。妊娠中の情報から、自分には当てはまらないだろうと深く考えもしなかったことが、現実あれこれ悩むことにつながり、もっと早く気づけば良かったという反省の言葉をつぶやいていたことを思い出します。辛いことを繰り返さないように参考にしてくださいね。

妊娠中、友人が“産後、おっぱいのことで悩むようだったら、堤川のそばのまつえ助産院っていう所に行けばいいよ!”と言い、TEL番号まで教えてくれましたが、その時は“自分は大丈夫だろう”、などと軽く考えていたので、友人の忠告など、聞き流していました。
ところが・・・。
お産して3日目の朝、おっぱいがパンパンに張ったので、看護婦さんに言うと、“赤ちゃんに飲ませてください”と一言、言われたとおり飲ませてみたものの、一生懸命に吸ってくれるにもかかわらず、おっぱい張ったまま、我が子は眠りかけるけどすぐ泣きだす始末。
その繰り返しでもうお互いにヘトヘト。そのうちおっぱいが熱っぽくなり、痛くて痛くて、病院の先生に“何とかしてください”と訴えました。看護婦さんはすぐマッサージをしてくれましたが、その痛いこと痛いこと。大分してから、ようやくポタポタと黄色のおっぱいが出ました。きっと今まで全く出ていなかったのでしょう。その時はマッサージの痛みと、一番栄養のある初乳を、我が子に飲ませてあげられなかったくやしさで大泣きしました。(絞ったおっぱいは捨てられてしまったので・・。)
退院後もおっぱいは思うように出ず、結局ミルクを足して我が子を満足させ、おっぱいの張りをとるために、搾乳器を使ったり、自分で絞ったりしましたが、量は20~30㏄。
今では信じられないけれど、おっぱいを片方ずつ両手で雑巾を絞るみたいに、
ねじったりひねったりしました。 “乳腺炎になって切開することになったらどうしよう”と毎日そればかり考えるようになり、おっぱいに関する本を読みあさり、マッサージも自分で試してみましたが、効果なし。もう途方にくれました。
そんなある日、たまたま行った薬局で、“まつえ助産院”の案内カードを眼にしたのです。“あ! そういえば・・・”と友人の忠告を思い出し、藁をもつかむ思いで、そのカードを握りしめ、思わずその場で涙ぐんでしまいました。
早速電話して助産院に伺うと、先生はとても気さくな方で、話を何でも聞いてくださるので、とてもうれしかった。母乳育児にとても熱心だなと感じました。それからは毎日通院するのが楽しみで、“今日はあれを聞いてみよう”とか
“今日はおっぱいがどれくらい出るかなあ”とか、一人でワクワクしていました。
最初は20~30gだったのが、今ではもう片方だけで100g近くも出るようになりました。あの悩んでいたころがうそのよう。
良く人に“おっぱい?ミルク?”と聞かれます。そんな時“おっぱいオンリーです。”と答えると必ず“立派ねえ”と返ってきます。もうそれがうれしくてたまらない。先生、感謝、感謝です。!
今、妊娠中の友人や、予定のある友人、それにまだ結婚もしていない友人にまで、母乳育児の良さと、まつえ先生の事を伝えたい。本当に本当にありがとうございました。また2人目の時もよろしくお願いいたします。

入院中におっぱいの張りが出て、その手当に戸惑い悩み、赤ちゃんも初めてであればうまく吸ってくれない、乳首の痛みがひどかった、など感想を聞くことがあります。出産した場所で指導してくださればよろしいのですが、それも無いに等しい、そのままで退院など、自宅でつらい思いをされているケースが多くあります。望む母乳育児をできずにミルクに頼ってしまう、そのような方たちに母乳育児へのチャレンジを応援したい、その思いでお手伝いをしています。どうぞ電話相談をしてくださいね。
今月は以前いただいた感想文から、誰もが感じる気持ちを書いてくださった文を掲載します。
できない自分を責めることなく、どうしたら前向きにできるか、考えるきっかけになれると嬉しいです。

楽しく母乳育児をしたい! これが私の願いでした。
産後、私は、おっぱいの時間が憂鬱で仕方がありませんでした。
混合だったのですが、おっぱいとミルクで30分以上もかかっていました。
ミルクを足しても少ししか飲まない。おっぱいだけでは足りないような気がする。
体重も増えない。ともかくストレスがたまる一方で、不安と疑問を抱えて、4カ月間を過ごしました。
そんな時、松江先生に出会いました。自分の食生活を見直し、指導のとおりやってみました。先生の指導は私がやってきたことと、全く正反対でした。最初は半信半疑でした。
私の場合、6カ月に入った頃、やっと母乳育児のすばらしさを実感しました。
私の目をじっと見て、おっぱいを飲む姿はとてもかわいらしいものです。
それからは、活発にハイハイをし、すくすく育っている我が子を、頼もしくさえ思えてきました。
初めての育児で、本を読んだり、人に聞いたりと、振り回されていましたが、何かにつけ、“他人と比較せず、自分なりの育て方をしなさい。子どもには個性があるのだから・・”と励ましていただいたことが忘れられません。
私は残念ながら、来月、青森を離れます。初めて子育てをした土地、青森の思い出を胸にそっとしまって、新しい土地で頑張ります。

“母乳育児は楽しいのよ!” 私の口癖ですが、その経験をして欲しくって、ついアドバイスを強く云ってしまうのですが、それを受け止めていただき実現できたケースでした。試行錯誤しながらたどり着いたときは、今までの苦労が吹き飛び、楽しさが何倍にもなるようです。
今は日本のどこかに住み、兄弟も増えているかもしれませんが、第一子の経験は生かされ、楽しい母乳育児を実践できていればいいなと心から思っています。
初めてのお産を迎える準備として、何かと本やネットで知識を得ようとしている方も経験者の内容は、とっても参考になると思うので、今月も経験者の感想文を掲載しました。参考になると良いですね。

今回が初めての出産です。
妊娠がわかった時に一度だけ本を読みました。が、1ページづつ読んでいくにつれ、なぜか怖くなりそれ以来、出産・育児について何の知識もないまま出産日を迎えることになりました。
子供を産むと言うことが、あれ程苦しくて、つらく長い時間だとは、聞いてはいたものの想像のつかない事でしたから、もう2か月たちますが「もう、あの痛みは2度と嫌!」という気持ちはまだ消えません。
けれども、一日一日と人間らしくなっていく赤ちゃんを見ていると、「兄弟を作ってあげたい」とも思うので不思議です。
さて、今、私は母乳だけで育てているのですが、初めから出た訳ではなく、それどころか、「私は出ないのだな」と思っていたほどでした。
一日たっても二日たっても、一向に出る気配がなく、乳が張るということさえもありませんでした。病院の先生は、「欲しがるたびに含ませなさい」というので試してみるのですが、それでも張りは来ませんでした。そして5日目の退院の日が来てしまいました。
その退院の際に看護婦さんに松江先生を紹介してもらいました。
それから毎日のマッサージが始まりました。最初は「痛い!」の一言ですが、二日、三日と続けていくうちに少しずつ痛みが和らいできて、乳の出方も日に日に良くなりました。
乳の出が良くなると子どもも良く飲むようになり、その刺激も加わりさらに乳の出が良くなりました。
始め、ミルクを足さないと満足しなかったのが、少しづつミルクの量が減り、搾乳したオッパイを少し足して飲ませるようにし、そのうち搾乳した分も要らない位出るようになりました。
今は、マッサージしてもらっていても、眠くなることさえある程です。
母乳だけで育てていると、何より楽で、特に夜は楽で楽でしょうがない、消毒した哺乳瓶に1回1回粉をはかり、お湯を注いで、またそれを人肌に冷ます、なんて手間が全くないので、ちょっとくらいウトウトしながらでも飲ませることができ、私のような寝起きの悪い人には、もう喜ぶべきことだと思います。
初め出ないとき、あのままにせずに良かったと、今では思います。そして、松江先生を紹介してくれた看護婦さんにも感謝しています。
これから出産を迎える人も、すでに出産し出ないと諦めている人も、試しに1カ月だけマッサージしてみて欲しいです。きっと牛のようにおっぱいが出るようになるはずです。
今、私の子どもは元気いっぱい手足を動かし、泣き、笑い、時には言葉を喋るかのように声をあげて、私たちを楽しませてくれています。

お産に怖れを抱き、それを乗り越えても次は母乳のこと、悩みは続きますが、何とか楽な育児になってほしい、母乳育児の楽しさをわかってほしい、そのお手伝いをしたいと開業して30年を過ぎました。今は、“コロナ”で大変な時期ですが、悩みがあったら電話相談もしています。困ったことがあったら、遠慮なくご相談くださいな。
このケースは最近ではなく以前の方でしたが、今は楽しい母乳生活を終了し、子どもも大分成長したでしょうね。
今月のケースは、初めてのお産を終えられて、ミルクと混合で退院してしまったケースで、自分は母乳育児は無理と考えていたのに、豊かな乳房でもったいないと感じた私との出会いがきっかけでした。その取り組みを短い言葉ながら記録してくれました。参考にしてくださればと考えます。

私が「母乳だけで子育てしよう。」と思ったのは、松江先生と出会って、先生に「あなたのおっぱいで十分母乳育児が出来る」と言われたからです。「ミルクと混合ででも母乳を与えればいいや。」と思っていたものですから、母乳だけでできるのかな? 私のおっぱいは空乳ではないかしら?などといろいろ疑問を抱きながらもとりあえずやってみようと、生後3週間もたたない我が子を連れて通い始めました。
張りすぎたおっぱいのマッサージの痛みで、涙が出そうな位でしたが、「毎日何でこんな痛い思いをしながらやらなければならないのかしら。ミルクと混合でも、立派に育っている子はいるのに・・・。
と何度もくじけそうになったものです。それに輪をかけるように、お腹がすいた我が子を見るに見かねた母がミルクを与えてしまうため、「やっぱり母乳だけじゃ、とても無理じゃないかしら。
」と思ってもいました。また出かける時は我が子を母に預けミルクを飲ませてもらい、張ったお乳は絞っていました。そんなこんなでミルクからなかなか離れられない私は、とうとう先生に“喝”を入れられて・・・。
今はどこに行くにも我が子と一緒。ミルクを持たず、お腹が空いたらおっぱいを。こんな楽なことはありません。そして嬉しいことに、私のおっぱいをだけでチャーンと大きくなっています。
私の食べ物がおっぱいへすぐ影響することから、食事に気を遣うようになりました。おかげで妊娠前より体重も減り、これぞ一石二鳥。でもアトピーはこれからですから、油断せず気を付けなければ・・。
これからは、先生のもとを離れますが、先生には母乳の大切さと、何より自分のおっぱいに自信を持たせていただいたので、これから一人で頑張って行けそうです。先生、本当にありがとうございました。感謝を込めて!!

このケースのような経験者は少なくないようです。ミルクに助けられその日常に慣れてしまい、おっぱいが張り、痛みが出てくれば搾乳して捨てる!それこそもったいないことです。哺乳動物は自分のおっぱいで子どもを育てています。
それが当たり前ですが、人間の場合は簡単に牛のおっぱいを使ってしまいます。
ミルクは異種動物のお乳ですので、その影響が、その後の赤ちゃんの体に出てきます。肥満児になったり、アレルギー体質になったりと病気を持ちやすくなったりします。体を守る免疫物質はまだ自分では作れず、母乳から貰うしかありません。その大事な免疫物質を搾乳して捨てるなんてとんでもない、と”喝”を入れたくなってしまうのです。
このケースは里帰りでお出でになった方でしたが、今後も充分母乳育児を楽しんでくださいね。
今月は初めての妊娠・出産で誰でも感じていて、つらい思いをしながら、母乳育児を実現するまでの経過を記録してくれました。普段来院した母親に話していることが多くあります。参考にしてくださいな。

今、我が子が眠っている間に書いています。
生んだ時は、2670gしかなくて、ちっちゃなサルだったけれど、1カ月半過ぎた今は、むっちり立派な赤ちゃんです。
このむっちりしたお肉やふさふさ立った髪や大きくなった足や手が、すべて自分の出した母乳だけで育っているのだと思うと、不思議な感じと、ますます愛おしくなる気がします。
母親学級で乳房マッサージの仕方とかを教わって、自分で少しやっていましたが、何となく自分では子どもが生まれたら、おっぱいは出るもんだという感じで、あまり気にしていなかったし、乳首が扁平でも病院の看護婦さんが大丈夫と言っていたので、のんびりしていました。
ところが、いざ生んでみると、我が子は乳首が小さいせいかうまく吸ってくれません。妊娠中にブレストシールドをやっていなかったら、今より小さいわけだからやってよかったと思いました。病院では3時間ごとに授乳の後ミルクが支給されて、飲ませると見事に全部おいしそうに飲んでしまって、こんなにおっぱいが張っているのに、どうして出ないのだろうと不安でした。もうその時点で退院したら、ミルクと混合になるのではないかと弱気になっていました。
退院してからは、もうおっぱいが張って張って痛くて触れないほどでした。
横になっても胸に重りが乗っているように息苦しくて、それなのに我が子は足りなさそうにして泣くし、もうどうしたらいいのかわからなくて、自分も我が子と一緒になって泣いていました。
周りの人からは「ミルクを足した方がいい」「こんなに小さい赤ちゃんをお腹空かして泣かせてまで母乳にしなくてもいいじゃないか」「もっと楽に育児をしたら?」といろいろ言われて、自分の中で完全母乳にしたい気持ちと、混合にして楽になりたい気持ちがごちゃまぜになっていました。
友人からのアドバイスでまつえ助産院に通うようになってからは、「大丈夫、あなたのおっぱいは出るおっぱいだ」「こんなに出るのにどこ足りないの!」という言葉を励みに頑張りました。我が子はまだ上手に吸えないだけで、欲しがることに任せて飲ませればいいんだ、そう思って毎日過ごしました。そのうち段々と痛みが少なくなってきて、最初はおっぱいをあげるのが苦痛だった位痛かった乳首も痛みもなくなってきました。我が子も自分も慣れてきて、上達したのかなと思っています。
3週間くらい経つと、何より励みになったのは、我が子がおっぱいを飲んでいる時「んぐんぐ」と音を立てて飲んでくれることです。飲んだ後「ふぅー」と
ため息をついて、スヤスヤと寝てくれることです。前と違って、こんなにおいしそうに飲んでくれる、そう思うと「お母さん頑張るからね」とやる気が出てきました。
おっぱいの痛みは大分軽くなって、母乳のみで過ごせるようになりましたが
とりあえず普段はおっぱいも軽く時間になったら張ってくる(この頃は我が子の泣き声を聞くと張ってきます。)ようになって、片方を飲ませると反対側のおっぱいの乳首がジ~ンとなってきました。このまま続ける自信がついてきました。
母乳だけで育てていくということは、昔の人は誰だってしていたはず、今はほとんど人が混合です。確かに最初は大変だけど、それでも素晴らしいことはたくさんあります。母乳の子どもは体が丈夫だといいますし、おっぱいをあげている時、じっと見られると「お母さんになったんだなぁ」とますます愛情が湧いてきます。何より自分の子どもは牛の乳で育てたくないと思うのです。
私は、あの時挫けなくて本当に良かったと思っています。
他のお母さんも出ないからと思い込んで混合にしてしまって人は多いと思います。でもそれは間違いで、必ず出るのだから諦めないで、と言いたいです。
約2カ月の間、大変だったけど、通って本当に良かったと思っています。
おっぱいのこと以外でもわからないことや、気になることを先生に相談できてよかったと思っています。先生所に行っていなかったら、相談する人も所もないし、もちろん病院では相談なんてとてもできませんでした。
これからも疑問に思うことが出てきたら、電話しますので、宜しくお願いいたします。

完全母乳育児を望むとき、出産してからの現象に驚いたり、がっかりしたりの連続で、途中であきらめる方が多いのではないかと思います。
このケースも乳房の緊満痛がひどく、乳腺炎の症状まで近づいてとてもつらかったようです。授乳の仕方やおっぱいのマッサージで開通もよくなり、母乳の出方も良くなりました。本当によく頑張りました。今後も母乳育児を十分楽しんでくださいね。
今月は、母親の服薬から授乳をできず、人工栄養になってしまったケースで、搾乳で頑張ってきたのに母乳量が減少し、何とか第一子の時のように母乳育児を実現させたくて、来院されたケースです。参考になりますよ。

母乳育児への思い
妊娠中から切迫早産のため安静状態で、母乳については1人目の時に出たから大丈夫だろう。まずは無事に産むことだけを考えていました。
産後体調を崩し、薬を服用、授乳がうまくいかなかったため完全ミルク、母乳にしたい思いもあり搾乳はしていました。産後しばらくすると、搾乳量が10ccから5ccと減り、出産した病院では「ストレスかな。お母さんの体調が1番だから。」と無理をしないようにミルクを勧められました。
1人目の時に感じた母乳育児で赤ちゃんとのアイコンタクト、ぬくもり、愛着を感じられる母親の特権が忘れられず母乳育児をしたい!と思い、携帯で助産院を検索して松江先生へやっと辿り着きました。2人目の産後、1ヶ月半頃から松江先生のところへお世話になりました。「よく来たね?。」と扉を開けると毎回声を掛けて頂き、私と子供にとって、まつえ助産院はやすらぎの場となりました。
一番最初に衝撃的だったのは先生のマッサージで母乳が天上まで飛んだことでした。通い始めは2gしか飲めなかった我が子も5g、次第に70g、100gと哺乳力が増えることができ、おっぱいもふかふかになりました。
最初の頃は横抱きの授乳スタイルから縦抱きに変わり、時間も5分、先生の熱烈な励ましを受けても寝る我が子。完全母乳が軌道に乗るまで1ヶ月半かかりました。
松江先生、家族の協力もあり今ではアイコンタクト、会話をしながら3分で授乳できるようになりました。
哺乳瓶、飲み物や食事、アレルギーと様々なことを教えて頂き、ネットの口コミよりも松江先生の経験や知識に勝るものはないと思いました。
私の産後の悩みでもあった1人目の子供の赤ちゃん返りについてのアドバイスもあり、以前よりハグをする回数も増えました。今までできていたことを「ご飯食べさせて、服着させて。」という1人目の子に怒ってばかりいた私も落ち着いて育児ができるようになりました。
卒乳についても1人目の時はネットのままやっていましたが、今は松江先生に相談できるという安心感があります。気が早いですが、できることなら3人目も松江先生にお世話になりたいと思います。
コロナ禍で妊娠、出産が不安な方が多くいるかと思います。母乳を諦めるのは簡単です。母乳や自分の身体、赤ちゃんと向き合ってみる機会は長い人生で妊娠、出産のその時しかないと思います。対面だからこそできるアドバイスを聞くことができるので、迷っている時間があるなら行動して後悔はないと思います。

生後1か月半で来院された方で、最初の哺乳量が4g、頻回な授乳と来院されてからの乳房マッサージでどんどん授乳量が増え、1か月と少しで母乳育児が達成されました。これは母親自身の熱意の賜物と思います。
今はコロナ禍で動きが難しく、妊婦さんや産後の方たちの悩みをサポートしてくれる専門家の、適切なアドバイスも受けられないでいる方も多いと思います。しかし、
乳房は時間が空くと刺激が少なく、搾乳も限界があり、乳汁が減ってしまいます。そのために人工栄養に頼ってしまうのでしょう。母乳育児をお望みの方は早めに行動を起こすことが必要です。
このケースは、経験があるから母乳育児の良さを実感していて、今度も前回同様に母乳育児で育てたい気持ちが強かったと云えるでしょう。充分頑張りました。楽しい母乳育児を楽しんでくださいな。
今月は、母乳の原点に立ち返って、素朴に感想を書いて来てくれたケースを掲載します。
初産の方は自分のおっぱいが出るのか、不安だらけで過ごされているようです。そのためにも予備知識があれば慌てないで乗り越えることができますね。このケースも産後、いろいろ経験されて理解されたようですが、参考にしてくださいね。

今月は、母乳の原点に立ち返って、素朴に感想を書いて来てくれたケースを掲載します。
初産の方は自分のおっぱいが出るのか、不安だらけで過ごされているようです。そのためにも予備知識があれば慌てないで乗り越えることができますね。このケースも産後、いろいろ経験されて理解されたようですが、参考にしてくださいね。
-果たして母乳が充分出るのか?- というのが妊娠中の私の心配でした。
産後、幸いな事に出るには出たものの、こんな痛い思いをするとは夢にも思いませんでした。
出産時の痛みより、私にとっては「乳腺炎」というものの方がはっきり言って苦しかったです。きっと予防できたのでしょうが、母乳がこれ程までに食生活の今までの積み重ねが影響するものとは知らなかったです。そしてこれからもどれだけ自分にとって、そして何より
その母乳だけでしばらくは育っていく子どもに、私の口から入る食べ物、生活習慣が大きく大きく影響して行くのだという事、痛感しています。
かわいいから欲しがるものを好きなだけ与える、というのは愛情とは言えないと思うし、我慢ばかりさせるのもまた良いことではないでしょう。でも私たち母親は、これからもどんどん住みにくくなるであろう世の中で、身心共に健やかな人間を育てていく責任があります。
そのためには健康な母乳を作り出し、子どもに与えるのが本当の愛情と言えるのではないでしょうか。私はその愛情をどれだけ与えることができるか、愛情と言えるほど、おいしい母乳を飲ませることができるのか、まだわからないし、自信はないけど、これからも松江先生にご指導いただいて、くじけず頑張ります。
おかげさまで、最初はバンバンのガチガチだった恐ろしい私のおっぱいも、先生の言うところの「つきたてのお餅」になってきました。おっぱいがこんなに軽く柔らかいものだったとは・・・。
賞味期限の過ぎたまずい母乳を飲ませられていた、悲しそうな我が子も今では一番搾りをゴクゴク飲んでいます。(少々飲み過ぎでしょうか) 私の食生活がストレートに子どもに伝わる母乳(食生活だけでなく、心の状態も)だから、今の私にとってできる事は何でもして、質の良い母乳づくりに励みたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

哺乳動物はどの動物でも出産後、自分のおっぱいで我が子を育てます。我が子には母親のおっぱいが一番合うのです。出産直後も吸うことがうまくいかないことが多いのですが、舐めることから始まり、出てきた母乳を味わい、もっと欲しくなって吸うことが上手になっていくのです。最初は飲む量が少なくても初乳の中には濃い免疫物質が入っていて、その後の
赤ちゃんの体を守ることにつながります。
私たちの周囲には、いろいろな細菌やウィルスが、更に今はコロナで皆さん大変な思いをされています。免疫物質が体を守ることがよく理解されていると思います。そのためにも赤ちゃんの体を守る母乳を簡単に諦めないで母乳育児を継続しましょう。
トラブルとしては、授乳が難しいケースや母乳不足や乳腺炎などいろいろありますが、
サポートを得て、乗り切りましょう。
このケースも、今は充分母乳育児を楽しんでおられます。よかったですね。

今月の感想文は、退院してまもなく9日目にお出でになった方で、乳頭が短く赤ちゃんが吸えず、大変な思いをして来院された方です。乳頭は傷がついており痛いのを我慢して
頑張ってきました。あきらめても仕方がない状況だったと思いますが、母乳育児ができればという願いからお出でになってからも頑張った方です。

私には9ヶ月になる息子がいます。
今私のオッパイを飲むときは、飲んで私を見ながら手を叩いて飲んでと、飲むことにあまり集中していませんが何とも可愛いです。と、今はゆったりとした気持ちで授乳をしていますが、ここまで来るのに悩みや不安なことがたくさんありました。
妊娠中・・・
出産したら仕事復帰することもあって、母乳とミルクの混合でいこうと決めていました。私のおっぱいは扁平で気になっていたものの、「出産したら自然に乳首は出てくるだろう」と「切迫早産で入院していたためマッサージはできない」と勝手に思い込み、
病院の先生や看護師の方に相談しないまま、ケアの方もしないまま出産を迎えました。
出産し病院にて・・・
我が子を出産し授乳する時がきましたが、やっぱり乳首は出ていませんでした。もちろん我が子もうまく吸うことができず、最初の授乳はできませんでした。乳首を出すために乳頭吸引器を使ったりしましたが、乳頭が硬いまま無理やり引っ張ったりしたため、乳首に亀裂が入り出血までしてしまいました。
「このおっぱいじゃ、息子も飲めないだろうし、乳首も痛いから完全ミルクにしよう」
「でも母乳は身体にいいから飲ませたい」という思いが私の頭の中で巡っていました。
ある日、お腹を空かせた息子がおっぱいを探していたので、吸えなくても良いのであげてみたら一生懸命飲んでいました。その姿を見てなんだか涙が出てきて、おっぱいを飲んでもらいたい気持ちになり、産休の間だけでも母乳にしたいと心に決めました。
退院してから・・・
母乳をあげようと決心したもののうまく飲ませられず、そうしているうちにおっぱいが張ってきて硬くなってしまい、病院では冷やせと言うし、周りは暖めたタオルで揉むといいと言うし、どうすればいいのかわからなくて悩んでしまいました。
そんな時夫が「悩んでいるんだったらまつえ助産院に行ってみよう」と言ってくれたのです。その一言で助産院に行くことにしました。
助産院に通うようになって・・・
緊張と不安のなかまつえ助産院の扉を開けました。
中に入ってみると赤ちゃんの声、松江先生とお母さんの会話がにぎやかでイメージしていたのと違い、私の緊張が和らいでいきました。
最初先生に私のおっぱいを見せてマッサージをしてもらい、母乳の作られ方、私のおっぱいの特徴など説明してくれました。
私のおっぱいはというと扁平ばかりではなく出る量は少なく、乳首も硬くてとても飲みづらい最悪な状態でした。
“妊娠中はつわりがひどかったし、切迫早産で入院したし赤ちゃんが飲みづらいおっぱいをしているし・・。私って子供を育てるのには向いていない体なのかな”と落ち込みました。そんな落ち込んでいる暇はないよと言わんばかりに松江先生は、授乳の仕方を私と息子に教えてくださり、と同時に特訓?が始まりました。
初日、2日目ともこんな体制(縦抱き)で飲みたくないと泣き叫ぶ息子を見て一緒に泣いてしまい、“母になると強くなるというけれど、私は弱いままだな”とまた落ち込んでしまいました。3日目から息子の泣く姿にもなれた頃、息子も特訓に慣れたのか泣かないで眠る作戦に出てきました。それからというもの少し飲むと眠ってしまい、名前を呼んでも松江先生がどんなに揺らしても全然起きません。家でもそんな感じで少し飲むと眠ってしまうという状態が続いていました。
通い始めてから一週間たった日、助産院でいつものように少し飲んで眠っている息子に、先生が哺乳瓶で飲ませようとしたら受け付けなかったので、スポイトを使って飲ませようとしましたが、全然受け付けず松江先生が驚き、様子を見るために市民病院へ入院することになりました。
息子の入院・・・
入院した途端に哺乳瓶で50cc飲んだ息子に“なんで?やっぱり私のおっぱいじゃ飲みづらいからダメなの?”と心の中でつぶやいていました。
「母乳は赤ちゃんにいろいろいいことがあるけど、量が飲めないとダメだよね。どっちが息子にとっていいんだろう?」と夫に相談しました。
夫は「母乳がいいに決まっているべ。松江先生もついているんだから、先生を信じてやってみるべ」と私を励ましてくれました。
産婦人科から退院して市民病院へ入院するまで、家に一週間位しか一緒に住んでいませんでしたが、いないと何ともいえない寂しさがあり、もう立派に家族も一員なんだなと実感しました。
約一週間入院して我が家に帰ってきました。入院する前はあまり泣いたことがなかったのに、泣くことを覚えたらしく大きな声で泣いている姿と、飲むのも少し飲んだら眠るってことはなくなり、「成長して帰ってきてくれたんだ。入院して良かったね」と夫と話していました。
また助産院に通う日々・・・
それでもまだ一回に飲む量が少なくて、授乳の回数が多く落ち着かない毎日を過ごしていました。助産院に通い続けていたある日、息子と同じで少し飲むと眠ってしまっていた子が、一回に飲む量が多くなったみたいで、いつもより早く帰る準備をしていました。その様子を見ていた私に、「今にガブってくいついてくるよ」と嬉しそうに話してくれました。“そうなのかなぁ。ウチはいつになるんだろう”と思い、そのお母さんの言葉を励みに通い続けていたら、ついにその時がきました。!
いつものように飲む前と飲んだ後の体重を量ったら、なんと60cc飲んでいたのです。
私は目を疑ってもう一回息子を体重計の上に乗せました。やっぱり60cc飲んでいました。嬉しいのと驚きのまま松江先生に「60飲みました」と報告。すると松江先生はすごく喜んでくれて他のお母さん方も一緒に喜んでくれました。その日は嬉しくて夫にも「今日一回で60も飲んでくれたんだよ」と報告。夫もまた一緒に喜んでくれました。
それから一回に飲む量も徐々に増えていき、3ヶ月頃には授乳の回数が1日8回と落ち着いてきました。
振り返ってみて・・・
私は辛いことがあるとすぐ逃げてしまうのですが、母親に関して辛いことがあったのに逃げずに頑張れたことが不思議です。なぜ?と考えてみると、夫や周囲の人がサポートしてくれ、松江先生も私を励ましてくれたからなんだろうなと思います。「よく頑張った、えらい」と言われると嬉しくてよしまた頑張ろうという気持ちになりました。
それと助産院に行くといろんな悩みを持った人がいるということ、またそれを克服して母乳を続けている人がいっぱいいるということがわかり、勇気をもらい続けてこれたんだと思います。
『おっぱいは、赤ちゃんにとって最高のプレゼントだよ』
私が一番印象に残っている松江先生の言葉です。
私たち夫婦は息子が産まれてきて最高のプレゼントをもらいました。だから私たちは息子におっぱいという最高のプレゼントしたいと思います。

以前お出でになった方で、母乳育児ができるようになったとき、その母親はこんな感想を言いました。“私は努力することはしないで何となく生きてきた。学生時代にこれだけ努力して頑張ったら、人生変わっていたかも知れない” 母親は赤ちゃんのために頑張れるのだということを今回の母親にも教えられました。一時赤ちゃんの体重増加が悪く、哺乳力の低下で入院した時もありましたが、よく頑張ったと思います。こうして
母親に育つというよい例と実感させられました。