お母さんの感想文2021年2月

まつえ助産院
今月の感想文は、退院してまもなく9日目にお出でになった方で、乳頭が短く赤ちゃんが吸えず、大変な思いをして来院された方です。乳頭は傷がついており痛いのを我慢して
頑張ってきました。あきらめても仕方がない状況だったと思いますが、母乳育児ができればという願いからお出でになってからも頑張った方です。

 

 

 

 

私には9ヶ月になる息子がいます。
今私のオッパイを飲むときは、飲んで私を見ながら手を叩いて飲んでと、飲むことにあまり集中していませんが何とも可愛いです。と、今はゆったりとした気持ちで授乳をしていますが、ここまで来るのに悩みや不安なことがたくさんありました。

妊娠中・・・
出産したら仕事復帰することもあって、母乳とミルクの混合でいこうと決めていました。私のおっぱいは扁平で気になっていたものの、「出産したら自然に乳首は出てくるだろう」と「切迫早産で入院していたためマッサージはできない」と勝手に思い込み、
病院の先生や看護師の方に相談しないまま、ケアの方もしないまま出産を迎えました。

出産し病院にて・・・
我が子を出産し授乳する時がきましたが、やっぱり乳首は出ていませんでした。もちろん我が子もうまく吸うことができず、最初の授乳はできませんでした。乳首を出すために乳頭吸引器を使ったりしましたが、乳頭が硬いまま無理やり引っ張ったりしたため、乳首に亀裂が入り出血までしてしまいました。
「このおっぱいじゃ、息子も飲めないだろうし、乳首も痛いから完全ミルクにしよう」
「でも母乳は身体にいいから飲ませたい」という思いが私の頭の中で巡っていました。
ある日、お腹を空かせた息子がおっぱいを探していたので、吸えなくても良いのであげてみたら一生懸命飲んでいました。その姿を見てなんだか涙が出てきて、おっぱいを飲んでもらいたい気持ちになり、産休の間だけでも母乳にしたいと心に決めました。

退院してから・・・
母乳をあげようと決心したもののうまく飲ませられず、そうしているうちにおっぱいが張ってきて硬くなってしまい、病院では冷やせと言うし、周りは暖めたタオルで揉むといいと言うし、どうすればいいのかわからなくて悩んでしまいました。
そんな時夫が「悩んでいるんだったらまつえ助産院に行ってみよう」と言ってくれたのです。その一言で助産院に行くことにしました。

助産院に通うようになって・・・
緊張と不安のなかまつえ助産院の扉を開けました。
中に入ってみると赤ちゃんの声、松江先生とお母さんの会話がにぎやかでイメージしていたのと違い、私の緊張が和らいでいきました。
最初先生に私のおっぱいを見せてマッサージをしてもらい、母乳の作られ方、私のおっぱいの特徴など説明してくれました。
私のおっぱいはというと扁平ばかりではなく出る量は少なく、乳首も硬くてとても飲みづらい最悪な状態でした。
“妊娠中はつわりがひどかったし、切迫早産で入院したし赤ちゃんが飲みづらいおっぱいをしているし・・。私って子供を育てるのには向いていない体なのかな”と落ち込みました。そんな落ち込んでいる暇はないよと言わんばかりに松江先生は、授乳の仕方を私と息子に教えてくださり、と同時に特訓?が始まりました。
初日、2日目ともこんな体制(縦抱き)で飲みたくないと泣き叫ぶ息子を見て一緒に泣いてしまい、“母になると強くなるというけれど、私は弱いままだな”とまた落ち込んでしまいました。3日目から息子の泣く姿にもなれた頃、息子も特訓に慣れたのか泣かないで眠る作戦に出てきました。それからというもの少し飲むと眠ってしまい、名前を呼んでも松江先生がどんなに揺らしても全然起きません。家でもそんな感じで少し飲むと眠ってしまうという状態が続いていました。
通い始めてから一週間たった日、助産院でいつものように少し飲んで眠っている息子に、先生が哺乳瓶で飲ませようとしたら受け付けなかったので、スポイトを使って飲ませようとしましたが、全然受け付けず松江先生が驚き、様子を見るために市民病院へ入院することになりました。

息子の入院・・・
入院した途端に哺乳瓶で50cc飲んだ息子に“なんで?やっぱり私のおっぱいじゃ飲みづらいからダメなの?”と心の中でつぶやいていました。
「母乳は赤ちゃんにいろいろいいことがあるけど、量が飲めないとダメだよね。どっちが息子にとっていいんだろう?」と夫に相談しました。
夫は「母乳がいいに決まっているべ。松江先生もついているんだから、先生を信じてやってみるべ」と私を励ましてくれました。
産婦人科から退院して市民病院へ入院するまで、家に一週間位しか一緒に住んでいませんでしたが、いないと何ともいえない寂しさがあり、もう立派に家族も一員なんだなと実感しました。
約一週間入院して我が家に帰ってきました。入院する前はあまり泣いたことがなかったのに、泣くことを覚えたらしく大きな声で泣いている姿と、飲むのも少し飲んだら眠るってことはなくなり、「成長して帰ってきてくれたんだ。入院して良かったね」と夫と話していました。

また助産院に通う日々・・・
それでもまだ一回に飲む量が少なくて、授乳の回数が多く落ち着かない毎日を過ごしていました。助産院に通い続けていたある日、息子と同じで少し飲むと眠ってしまっていた子が、一回に飲む量が多くなったみたいで、いつもより早く帰る準備をしていました。その様子を見ていた私に、「今にガブってくいついてくるよ」と嬉しそうに話してくれました。“そうなのかなぁ。ウチはいつになるんだろう”と思い、そのお母さんの言葉を励みに通い続けていたら、ついにその時がきました。!
いつものように飲む前と飲んだ後の体重を量ったら、なんと60cc飲んでいたのです。
私は目を疑ってもう一回息子を体重計の上に乗せました。やっぱり60cc飲んでいました。嬉しいのと驚きのまま松江先生に「60飲みました」と報告。すると松江先生はすごく喜んでくれて他のお母さん方も一緒に喜んでくれました。その日は嬉しくて夫にも「今日一回で60も飲んでくれたんだよ」と報告。夫もまた一緒に喜んでくれました。
それから一回に飲む量も徐々に増えていき、3ヶ月頃には授乳の回数が1日8回と落ち着いてきました。

振り返ってみて・・・
私は辛いことがあるとすぐ逃げてしまうのですが、母親に関して辛いことがあったのに逃げずに頑張れたことが不思議です。なぜ?と考えてみると、夫や周囲の人がサポートしてくれ、松江先生も私を励ましてくれたからなんだろうなと思います。「よく頑張った、えらい」と言われると嬉しくてよしまた頑張ろうという気持ちになりました。
それと助産院に行くといろんな悩みを持った人がいるということ、またそれを克服して母乳を続けている人がいっぱいいるということがわかり、勇気をもらい続けてこれたんだと思います。

『おっぱいは、赤ちゃんにとって最高のプレゼントだよ』
私が一番印象に残っている松江先生の言葉です。
私たち夫婦は息子が産まれてきて最高のプレゼントをもらいました。だから私たちは息子におっぱいという最高のプレゼントしたいと思います。

私の一言

 

以前お出でになった方で、母乳育児ができるようになったとき、その母親はこんな感想を言いました。“私は努力することはしないで何となく生きてきた。学生時代にこれだけ努力して頑張ったら、人生変わっていたかも知れない” 母親は赤ちゃんのために頑張れるのだということを今回の母親にも教えられました。一時赤ちゃんの体重増加が悪く、哺乳力の低下で入院した時もありましたが、よく頑張ったと思います。こうして
母親に育つというよい例と実感させられました。